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ええまちづくりのええ話

大阪府内の地域団体の活動事例や、行政職員や生活支援コーディネーターの研修の発表も広く掲載。
団体の活動の参考にしたり、市町村の仕組みづくりに役立つ記事がたくさんです。

社会福祉協議会のCSWが「生活支援コーディネーター」を兼任している背景(豊中市社会福祉協議会 勝部麗子さんのインタビュー:前編)

2017年10月24日

大阪ええまちプロジェクトの「ええまちづくりのネタ」では、住民主体のまちづくりのヒントもお伝えしていきます。
今回は、全国的にも注目度の高い豊中市の社会福祉協議会 福祉推進室長 勝部麗子さんにお話をお伺いしました。

勝部 麗子(かつべ れいこ)さん
大阪府豊中市生まれ。昭和62年に豊中市社会福祉協議会に入職。平成16年に地域福祉計画を市と共同で作成、全国で第一号のコミュニティソーシャルワーカーになる。地域住民の力を集めながら数々の先進的な取り組みに挑戦。その活動は府や国の地域福祉のモデルとして拡大展開されてきた。NHKドラマ「サイレント・プア」のモデルであり「プロフェッショナル 仕事の流儀」にも出演。著作に「ひとりぽっちをつくらない―コミュニティソーシャルワーカーの仕事」。

Q:豊中市の概要と豊中市の社会福祉協議会について教えてください。

平成28年3月末現在の豊中市は人口約40万人、高齢化率は25.1%です。
自治会の加入率は下がってきており、45.4%。
65歳以上の単独世帯数は32,888世帯(平成28年6月末現在)です。
市内に38の校区福祉委員会があります。

高度成長期に人口が増えた新しいまちだから、元々「小学校区単位のまちづくり」だった

北部に千里ニュータウンがある豊中市は、高度成長期にどんどん人々が移り住んできて、急速に若い世代が増えていったまちです。急に増えた子どもたちを受け入れるため、まずは保育所や小学校を用意せねばならないという事情がありました。そういう子育て・教育問題に合わせて、小学校を中心にまちづくりをしてきた経緯があり、地区社協が地域の中でコミュニティづくりをしてきました。

そのため、小学校区の単位で新しいコミュニティを作っていくという文化が元々あったといえます。

そういった経緯で、豊中における「見守り」の方法はこのように小学校区に小地域福祉ネットワークを配置した形になっています。

当時、地域活動は「イベント運営」はできても「個別支援」はできていなかった

この当時の豊中市における地域活動は、運動会や文化祭・お餅つきといった「学校行事的なイベント」の開催・運営が中心でした。こういうイベントは民生委員や自治会、老人会、子ども会などの会を中心にして実行委員会が組織されおり、単発・行事的なイベントであれば開催・運営が可能だったのです。
ところが、たとえば「高齢者の見守り」といった継続的・個別支援的なこととなると、それぞれの会はお互いに遠慮し合ってしまい、なかなかできていなかったようです。

当時、特養やデイサービスといった高齢者向けの施設もひとつもありませんでした。高齢者介護は、家族がするか、ヘルパーが訪問する形でなされていました。介護を担う人々同士のつながりや研修もありません。

私が社協に入職したころの豊中市はそのような状況でした。

豊中市の社協は、全国で最後に法人化。ボランティア登録0人からのスタート

豊中市の社協は、昭和58年に法人格を取得しました。

今でこそ、豊中市社協がいろんな活動事例を他の地域に共有するたびに、「それは豊中市だからできるんですよ…」などとあきらめまじりによく言われるのですが、豊中市社協は全国で最後に法人格を取得したんです。最も遅いスタートだったんですよ。

当時、市社協で把握するボランティアは一人もいませんでした。「0人」です。
もちろん豊中市で個人的にボランティアをする人はいましたが、それぞれのボランティアにつながりはなかったのです。そのため、昭和62年に入職した私の最初の仕事は、豊中市の介護者家族の会の組織化・介護者家族の会の調査と、ボランティアセンターの立ち上げでした。

豊中市社協は、日本で一番遅いスタートでしたが、今では約8000人がボランティアとして活動してくれるまでになりました。これは何も「豊中市民が特別」というわけではないんです。

きちんと「地域を耕す」活動をしていれば、どの地域でも必ずできることだと思っています。現に、私が東日本大震災で行った地域でも、「みんながなかなか個別支援に協力してくれない」と嘆いていましたが、踏まえるべきプロセスをきちんと理解して実行しさえすれば、短期間でも協力体制を構築することが可能でした。(※詳しくは後編でご紹介します)

「地域を耕す」=「”地域で困っている人を生みださない仕組み”を大切だと思える人たちを増やす」活動

「誰もが安心して暮らせるまちづくり」というスローガンを掲げるならば、地域で本当に一人ひとりをきちんと見守ることが必要です。そして細やかな見守り活動のなかで「課題」がキャッチできる。次に、その「課題」がなぜ生まれたのかという「構造」を理解し、他に同じようなことで困る人が出てこないような「仕組み」をつくっていくことが重要になります。
また、その「仕組み」を大切と思える人たちを増やすのも大切な活動になります。
(*地域の耕し方は、後編でご案内します)

地域課題を見つけ、共有し、仕組み化するための「豊中市ライフセーフティネット」

「ある一人の問題から、他に応用できる仕組みを作る」ということを繰り返し推し進め、豊中市全域で「仕組みを大切に思う人」をさらに増やすために「豊中市ライフセーフティネット」という体制をつくりました。

「仕組みが大切」と思うには「地域課題の共有」が大切で、地域福祉ネットワーク会議というものを豊中市をは7つの地域に分けた「日常生活圏域」ごとに開催しています。そこでは地域住民からのSOSをみんなで共有し、支援策をみんなで知恵を絞って考えるのです。

これが、「新しい総合事業」に位置づけられる、いわゆる協議体の役目をしています。
協議体はまさに地域課題を解決するための「チーム」です。

<豊中市ライフセーフティネットの構造図>

(写真:平成26年度版福祉なんでも相談窓口 コミュニティソーシャルワーカー配置事業概要資料より)

Q:豊中市の生活支援コーディネーターの配置について教えてください。

豊中市は、社協のCSWが生活支援コーディネーターを兼任

こういった仕組みが今回の介護保険制度改定前にできていたので、豊中市の生活支援コーディネーターの一層目は、二層目と豊中市のコミュニティ・ソーシャル・ワーカー(以下、CSW)が兼任しており、主任が勝部、副担当の二人でやっています。
二層目は市をエリアで7ブロックに分けて、それぞれ社協の人間が担当するという形です。

このように、社協が生活支援コーディネーターの役割を担うことは多いと思いますが、それぞれの地域に根差した形で「地域を耕す」活動をしている活動体であれば、第二層の生活支援コーディネーターの役割を担うことは可能と思います。

生活支援コーディネーターの配置に迷っている地域があるならば、生活支援コーディネーターに向いている人の条件として、「地域に広いネットワークを持っている」ことは重要なポイントのひとつとなります。

地域でつながりを持っている社協が生活支援コーディネーターの役割を担うことの課題があるとしたら、社協は行政からの委託事業をメインに活動してきたことが多いので、委託の範囲で行うことが求められることが多いということはあるかもしれません。

一層目の生活支援コーディネーターは、行政との調整力も必要になりますし、現場でマネジメントしたり発信したり、ソーシャルワークのスキルの力、プロデュースする力も必要になります。求められているスキルはかなり多岐にわたります。だからこそ「協議体」は生活支援コーディネーターを支えるチームである必要があるのです。

さらに、行政はこれらの生活支援コーディネーターの活動をしっかり下支えしていただきたいと思います。
拠点整備や移送、買い物支援ボランティアでの支え合いだけでは困難なこともたくさんあると思います。行政を横断的に調整する課題解決の仕組みや、元気な高齢者をどう増やしていくのかという行政としてのビジョンと推進施策があれば、もっと生活支援コーディネーターは力を発揮できると思います。

そして現場も、繰り返しになりますが、「それは豊中が特別だから…」「勝部さんが特別だから…」とあきらめないでほしいなと思います。豊中は全国で最後のスタートで、登録ボランティアがゼロからでした。きちんとプロセスを踏めば、必ず地域は耕せるのです。

 

20年かけて市民ボランティアを8,000人に増やした豊中市の「地域の耕し方」とは?(豊中市社会福祉協議会 勝部麗子さんのインタビュー:後編)

 

(※)勝部さんも運営に関わる「びーの×マルシェ」。

新鮮な野菜や豊中に所縁のある商品、復興支援の名産品の販売を通じて、ひきこもりの方の社会復帰訓練や、高齢者や子育て中の親子の憩いの場にもなる”ええまち”づくりな取り組み。プロボノによる支援を受けており、以下のページからプロジェクトの様子をご確認いただけます。

高齢者から若者まで人がつながり、困りごとを相談できるマルシェを、もっと知ってもらおう。

 

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