課題や困りごとからだけでなく「あったらいいな」からつくる地域に必要なこと
2019年2月4日
2025年問題。団塊世代の方たちが70歳以上の後期高齢者になる2025年、いよいよ日本はさらに本格的な超高齢社会に突入するフェーズに入ります。
2025年まであと7年となる今年2018年という年は、日本の高齢化問題を見据えたときに、どういう時期にあるのでしょうか。
慶應義塾大学大学院の堀田聰子教授と、株式会社TRAPEの代表鎌田氏を迎え、話をお伺いしました。
堀田聰子教授
慶応義塾大学大学院 健康マネジメント研究科教授
東京大学社会科学研究所特任准教授、ユトレヒト大学客員教授等を経て現職。専門はケア人材政策、人的資源管理、地域包括ケア。博士(国際公共政策)。2010年よりBuurtzorg Innovator、現在、社会保障審議会介護給付費分科会及び福祉部会、同福祉人材確保専門委員会、地域包括ケア研究会等において委員を務める。「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2015」リーダー部門入賞。
株式会社TRAPE-トラピ- 代表 鎌田大啓氏
作業療法士。「ひとを創り、地域の未来を創る」を理念に、自治体、介護事業者、企業など既存資源をReデザインし、ひとがよく生きる土台の新たな価値づくりに取り組む。
この記事は、2018年6月1日に開催された「大阪ええまちプロジェクト公開講座」での内容を元にしています。
改めて、出揃った道具を使いこなしてどこに向かいたいのかが問われる年
堀田先生:
2018年は、地域包括ケアとか地域共生を進めていく中で、とても節目の年なのだろうと思います。
医療、介護の両方で報酬改定があり、それから介護保険事業(支援)計画の第7期計画が始まり、次期医療計画も始まっています。おおむね、総合事業(介護予防・日常生活支援総合事業)も在宅医療介護も全自治体で始まっていることになっていますし、地域包括ケアシステムを作っていこうとする道具立ては大体揃ったな、という時期にきているのかなと思います。
逆に言うと道具立ては揃ったのだけど、どうやって使いこなしていけばいいのだろうかとか、なにに向かおうとしていて、どこにいけば良かったのだろう、そのためにどんな道具があるのか、今1度、足元とどこに行きたいのだったかをちゃんと見つめるというタイミングなのかと思います。
2025年はすぐ近くですが、通過点でしかないですね。
2025年になったら世界が終わるわけではないですし。地域包括ケア研究会でもようやく2040年まで見るようになってきましたが、2040年もあっという間にやってきます。
人生100年時代、100歳時代と言われていますが、2025年がやってくることに過度に潰されることなく、改めてどこに向かいたいのかも振り返りながら、道具は揃ったぞ。そんな時期かなと思います。
進行:
堀田先生は、全国各地を歩き回られていますが、地域包括ケアシステムについて各地の状況をどのように受け止められていますか?
堀田先生:
「そもそも地域包括ケアってなに?」ということもまだまだ言われますし、このところ、古くて新しい概念として「地域共生社会」みたいなことも言われるようになってきて「その2つの関係はなんなのだろう」ということも言われます。
今日も多くの生活支援コーディネーターの方が参加されていますが、「〜推進員」という具合に地域の中で活躍して地域をより良くする人、というラベルを貼られている人もいらっしゃると思います。
「地域包括ケア」というお題目を言われる、さらに「地域共生社会だ」の題目も言われているが、どこまでいけばそれが終わりなのか、なにに向かっているのか、自分たちがどこまで来ているのかがよくわからない、と地域全体のマクロなレベルでも言われますし、「またなんか新しいラベルを貼られたのだけど、なにこれ?」っていうような感じで、様々なレベルでまだまだいろんな問いをいただいている状況です。
進行:
生活支援コーディネーターも、新たなラベル、新しい役割を期待されている人が担われていますね。
鎌田氏:
そうですね。さっき、わかりやすいなと思ったのが、「道具はある」ということを、まずみんなが共有する、理解することが大事なのではと思います。
なにか新しい方針などが出るたびに新たに作ろうという話になるのですが、「新たに足す」ことではなく、今、いろんな仕組みを含めて出揃ってきて、これをどうやるのか、誰とやるということは今日の本テーマでもあると思います。
新たな役割が作られるごとに全部個別に対応しないといけない、となるのではなく、実はすべてひとつの方向に向かっているという説明をすることや、向かう先は同じだと共有をすることが大事です。
ただ、一つのラベルで役割を持つ人がそれをやるのは難しい。自分に与えられた役割の中だけで、どうすればよいのか、としんどい思いになっているのかもしれないと感じる事があります。
「あったらいいな」からのアプローチで到達度の把握も楽しくなる —韓国の事例:ソンミサン・マウル−
堀田先生:
法改正、制度改正のたびにいろんなものが行政の上から降ってくるわけなのですが、改正のたびにまたラベルを貼られる人が増え、会議体も増えていきます。
上から降ってきたものに対応しようと思うとしんどいですけど、ご担当としてのご自身が、目の前の住民や、暮らしてらっしゃる地域がどういう風になっていってほしいのかということに愚直に取り組んでおられれば、降ってきたものを使いこなすことが多分できるのでは、と思うのですね。
皆さんもよく聞かれる問いのひとつに、「ところで、私の地域はどのぐらいできてるのか?」があると思います。行政の文書では、地域課題とか社会課題とか困りごとからのアプローチがすごく多いですよね。
人々が抱えているそれぞれの生きづらさをどうやって解いていくのかという課題方向からのアプローチはものすごく大事です。でもそればかりを前に出しているとなかなか人々がのってこないし、そしてどこまでいっても尽きない。
もうひとつの方向として、実はすでにあるかもしれないもの、持ち腐れているものを活用するアプローチがあると思います。海外事例でひとつ「ソンミサン・マウル」をご紹介します。
ソウルのある丘のちょっと小高いところのエリアで、今人気が出てきているエリアのひとつです。みんながそこの地域に行くと「あったらいいな」が叶うと考えられるようになってきている所です。
元々の始まりは、子育て中のお母さん、お父さんたち。
親たちが自分の子どもを預けたいと思うような、日本でいうところの保育園みたいなものがないので、自分たちでやろう、というところから始まりました。イメージしやすいのは、生協さんかもしれないです。
保育のことから始まって、教育のこと、食のこと、メディアのこと、介護のこと、居場所作りなど、さまざま皆さんの「あったらいいな」から発想していきます。
「あったらいいな」「もったいないこと」「できること」の3つを組み合わせていくと、だんだん自分たちの「あったらいいな」ができていきます。「ソンミサン・ゲーム」といって日本でもやっているところがあります。
面白いのは、「カリスマリーダーはいらない」と言っていることです。こうした事例は、「誰かがいたからできたのでしょ」っていつも言われちゃうと思うんですけど、リーダーはいらないって言っています。
また、「ソンミサン・マウル」の方々はまず「あったらいいな」って思う人が3人はいなきゃいけないって言っています。
1人は独りよがり、私だけかもしれない。2人は喧嘩したら終わってしまう。3人いれば文殊の知恵って日本でも言いますが、最低3人は、その地域にあったらいいなと思う人たちがいたらとりあえずやってみる。
最初から大きなものというのではなく、とりあえずやってみるっていうのが大事だそうです。
住民の方々の「これに困っている」をくるってひっくり返してあげると、「あったらいいな」になります。困っていることは、いっぱい話していると苦しくなってきますが、でもそれを展開すると「あったらいいな」がいくつも出てくるはずなのですよね。
「あったらいいな」という事の中身も、知らないだけで実はすでにあるよねとか、そのものズバリはないのだけど、他の目的で使っている場所があったり、他の役割を貼られている人の役割の中に実はそのサービスは持てるのでは、といった転化もできたりします。
困りごと、生きづらさといった課題の側からのアプローチをちょっとひっくり返してみると「あったらいいな」になる。「あったらいいな」に向かうと、今なにをやっていくべきかに話を戻すことができて、何割どこまでできたのかも考えるのが楽しくなります。
例えば在宅医療介護についてどれだけやりましたか、というと、「会議を何回やりました」「そこに何人来ました」という記録を取らなければいけないのですが、それで何が変わったかってわかりづらいですよね。
逆に、在宅医療介護について、これがあったらいいな、から入っていくと、私たちはどこまできたのでしょうか、という進捗の通信簿をもうちょっと楽しいものになるかもしれない。その発想の転換は結構大事なところかなって思います。
進行:
「ソンミサン・マウル」の場合、民間主導、住民主体の活動かと思いますが、市町村、あるいは生活支援コーディネーターなど、公的な性格を持っている方からすると、「あったらいいな」で3人揃ったところから、どこまでみんなでアクセル踏んでやって良いのかの戸惑いもあるかもしれません。
堀田先生:
「ソンミサン・マウル」にはマウル支援センターという中間支援組織が存在しています。
中間支援の機能は、行政が担っている場合もあれば、行政以外の団体が担っていたり、住民たちが文殊の知恵を持ち込んでやってみたりと、地域によって様々ですが、あったらいいなと思ったときに、それを実現するためにはこんな事業が使える、といった助言や支援などは、行政、あるいはなんらか中間支援を担っている方々や組織の方々が共有してくださると、より早く目的を実現できると思います。
「ソンミサン・マウル」の場合は、住民は出資もするし担い手にもなるし受益者にもなる形で作っていっています。行政のお金がないからというよりも、自分たちがほしいもの、自分たちでつくって担い手にもなって、その利益も自分たちで被るかたちでやっています。
進行:
生活支援コーディネーターや行政としては、中間支援の役割を担って、自分でつくるというよりも、持ち込まれた内容を見たり、ちゃんと3人の仲間がいることを確認して、前に進める。または、進められないところを応援したりする役割になるのでしょうか?
堀田先生:
そうです。マウル支援センターの役割も、持ち込んでくれる中身によって色々ですが、そもそも、もうすでにあるものなのか、ないものなのか、その「あったらいいな」に向かってなにが使えるか、そして、その3人の組み合わせを見てみるわけですよね。「あったらいいな」に向かってベストな3人なのかとか、あったらいいなの内容が近いから一緒にやってみたら?と別の方をつなぐこともあります。
本当にないものなのか、より効果的・効率的に進める上で他の人たちも一緒に取り組むことを勧めたり、プロトタイプでまわしてその評価に伴走したり、まさにサービスグラントやプロボノワーカーさんが担っておられるようないろんな役割を担っているのがマウル支援センターの特徴だと思います。
注目は、「小規模多機能自治」「シェアリングエコノミー」
進行:
日本国内でもなにかよい取り組み事例はありますか?
堀田先生:
小規模多機能型居宅介護ではなく、「小規模多機能自治」を聞いたことはありますか?
今、全国1700~1800くらい自治体がありますが、小規模多機能自治に200ぐらい加入しています。基礎自治体の中でも、小学校区くらいとか、町内会・自治会の地縁団体や、属性別の婦人会や老人会、目的別のサークルとかいろんなものがあって、同じようなことを頑張っていますが、それほど連携が取れていなかったりもします。
今までの既存の地縁団体・属性別団体・テーマ団体が再編する形で地域の「あったらいいな」に向けて、「あったらいいな」を議論し、ないものは作って、実行後にも議論をする地域自治組織、地域運営組織と言われるような組織がじわじわと増えてきています。
もちろん医療や介護みたいに国レベルの広域で最低限をやっていったほうがいいものもありますが、つながりから生まれる日常生活の暮らしの中にあったらいいな、ということを考えて自分たちで実行する地域が広がってきています。
例えば認知症者のアドバイザーを務めさせて頂いている島根県雲南市。
30の地域自治組織があって、その中でもとくに活発な地域のひとつの鍋山地区は、人口1400人ぐらい中山間地域なのですが、公民館を交流センターに改装して、その指定管理をその地域自治組織が担うということで、見守りから買い物支援、移動支援など、住民の方々を職員にしながらやって、行政の仕事をどんどんください、という状態になっています。
もうひとつ、これまでお話している事例の文脈とも近いと思いますが、都市部でも中山間地域でも「シェアリングエコノミー」の考え方を取り入れている事例があります。人のスキルや、お金、場所、移動手段。いろいろなものたちをひとつの目的に開いてあげるということ。あなたは高齢者の介護する人、あなたは高齢者の居場所をつくる人という感じでラベルを貼られているものをシェアするということです。
介護保険のサービスを使っている認知症の方々が、地域活動に参加をしたい、または、仕事をしたいという時に、認知症であろうと、障がいや生きづらさを持っている方々であろうと、地域の仕事をあらゆる年齢、障がい、疾病の有無、違いを超えてシェアすることを実現している介護保険事業所もあります。
「小規模多機能自治」、それから「シェアリングエコノミー」、そういう考え方を取り入れていくことはとても面白いと思います。
進行:
鎌田さんからも近未来を見通すヒントになるようなキーワード、事例についてご紹介ください。
鎌田氏:
「シェアリングエコノミー」という考え方はまさしくその通りだと思います。例えば介護人材がいませんということは非常に大きな課題です。
「介護人材がいない。欲しいんだ」はどの施設に行っても合言葉ですよね。
「人がいない、忙しいんだ。だからここでいろいろできない」というできない理由にもなっています。
でも1度棚卸しをしてみて、業務行程、作業工程を細かく見ていくと、「この業務はこんな人ができるのではないか」という発想になるんです。介護職しかその役割はできないと思っている、その自分たちのマインドをちょっと変えて、この業務は例えば、と誰かの顔が浮かんでくるようになると、専門職種かそうでないかということは超えられるのではないでしょうか。さらに認知症かどうか、ということも超えられると思います。
肩書き抜きにしてできることは山積みで、実はこの考え方が、人材がいないと言われる日本で切り札になるのではないかと本当に思っています。
今、介護事業所の生産性向上のコンサルティングなどをしていますが、ICTやロボットを介護の現場に入れれば魔法のように全てが解決するということでは全くなく、業務の整理をした中でさらに効率的にやるためにIT、ロボットは絶対いるのだと思いますが、業務を見直して、その人に寄り添って役割や社会参加を繋いでいくということが大事だと思います。
もうひとつはさっきの「あったらいいな」は確かにそうだなと思います。
それは、実は「声を聞くこと」だと思うのです。寝屋川の事例ですが、現場の利用者さんや地域住民の方に「なにしたいですか?」って聞いても答えられないことが多いです。
なので、最初に「今まで何をしていたのですか?」と尋ねる。そうすると「こんなことをしていた。あんなことをしていた」と答えられるので、「今やっているのですか」と聞くとやってないことが多いわけですね。
それは今もしたいですかと話していくと「こんなことがあったらな」っていうふうにいっぱい出てきます。
次に、今なにが地域に、介護現場にないのかを、行政や地域包括支援センターとディスカッションする。要するに現場の利用者さんや地域住民の方々がすでにいっぱい持っている思いやものに私たちがどれくらい耳を傾けていくのかが大事で、そういうことを話し合っていくのが協議体の場です。
だから協議体の場は意味があるのだと思っています。
まとめ
進行:
今のお話は堀田先生の「あったらいいな」に加えて、「できること」と「もったいないこと」にも言及がありました。高齢者の方が実はできることだけど今やっていない意味でもったいないこと。そういうのを見つけていくということがポイントだと思いました。
ここまでを少し振り返ると、課題からスタートすると苦しくなる、なにか制度に対応しようと思うとやらされ感があるが、むしろそこから発展して「あったらいいな」というところから考えようということ。
それを独りよがりではなく、まず3人の有志の味方を見つけていこうと。
そこに、コーディネーターの方であれば、こういう人が必要ということをちょっと組み合わせたりしながら、前に進めたり、うまくいかなかったらいかなかったで次のことを考えることをしていこうということですね。
東京の事例になりますが、小金井市にあるNPO法人「地域の寄り合い所また明日」という多世代共生型の保育所、デイサービス、居場所をされている所があります。
子どもが7~8人お昼寝しているすぐ横に高齢者の方たちがお茶を飲んでいて、起き上がってくると子どもが高齢者のところに行くような空間になっています。
居場所も兼ねているので住民の方がふらっと来られたり、障がい者の方が月に2回来られたり、紙芝居を読む日があったり。家族のようなアットホームな場所で、本当にあったらいいなと思いました。
居場所について先進事例が紹介され始めていますが、「その先進事例は素晴らしいが、うちにはないものがたくさんあるんですよね」でとどまっていてはいけないと思います。
先進事例から「あったらいいな」をたくさん見つけられたらいいかなと思いますし、大阪ええまちプロジェクトや大阪ええまち塾でも他地域の事例に触れていただいて、うちもこういうことできるな、「あったらいいな」を発見していただくことになるのかなと思います。