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ええまちづくりのええ話

大阪府内の地域団体の活動事例や、行政職員や生活支援コーディネーターの研修の発表も広く掲載。
団体の活動の参考にしたり、市町村の仕組みづくりに役立つ記事がたくさんです。

超高齢化社会を追い風に。住民がつながり支え合うええまちづくりとは。(村田幸子さんの講演)

2019年5月13日

2019年2月26日、ドーンセンター(大阪市中央区)にて、大阪ええまちプロジェクト「大交流会」を開催しました。

第1部「〜みんなでつくる わがまち ええまち〜」にご登壇いただいた福祉ジャーナリストの村田幸子さんによる講演をお伝えします。

福祉ジャーナリスト 村田幸子さん (元NHK解説委員)

昭和38年3月立教大学文学部英米文学科卒業後、NHKにアナウンサーとして入局。1990年、NHK解説委員となり、主に福祉・厚生問題を中心に取材。2003年NHK退局。以後、福祉ジャーナリストとして講演・取材活動を続けている。10年前から、仲間同士で老後を支え合うため同じマンションで暮らす「友だち近居」も実践中。

 

私は東京生まれ、東京育ちで東京のNHKに入ったのですが、これまでの仕事人生の中で2回、大阪放送局に勤務しております。

私が勤務しておりました頃は馬場町というところにありました。東京生まれではありますが、大変関西が好きになりました。

 

今、おひとりさまが増えていまして、「淋しい」とか「誰も頼れる人がいない」とか、なんとなく鬱々と淋しげに暮らしている方が多い。せっかく長い人生を与えられて「そんなこともったいないじゃないか」と思うんですね。

 

私もおひとりさま。尼崎市にあるマンションで、「ともだち近居」という試みをしております。

 

「ともだち近居」をしている仲間は皆おひとりさま。友達という財産を活かし、友と一緒に同じマンションにそれぞれに部屋を持って、お互い助け合って暮らせばいいんじゃないかという考えのもとに始めたのが「ともだち近居」です。

 

仲間は7人、「ココセブン」と名付けています。ココは個人の個を2つ重ねて、7人ですからセブン。それぞれが自分の暮らしを営みつつ何かあったらお互いに助け合う。

ただ、要介護になった時の介護はしない。それはプロに任せる。人生を共に楽しんで生き、必要なときには助け合って暮らしましょうねという試みをやっています。

ですから、一人でも決して淋しいことはない。友達というのは最大の安全保障、そんなふうに思っています。

 

地域包括ケアシステムと名付けた仕組みを作ろうと、国は今、旗を上げましたので、それに関連するお話をさせていただこうと思います。

 

ここ数年、「年賀状はおしまいにさせていただきます」という人が出てきました。私の場合、今年は非常に多かったんです。4、5人いたんじゃないでしょうか。虚礼廃止という時代の傾向には違いないとは思うんですが、一方で人と人との「つながりの断捨離」ということも言えると思うんですね。

 

整理の達人という方々が大変もてはやされておりますけれども、人と人とのつながりも断捨離する時代になったのかなと感慨深い思いがします。

今、町内会、子供会、老人会なども人が少なくなり、やめていくところも増えている。これも人と人とのつながりが希薄になっているわけですね。

また、介護保険を利用するようになりますと、今まで普通に行き来してきた人が、人と人とのつながりが切れてしまう。

「あ、今日はあの人はデイサービスに行く日だから」「今日はヘルパーさんが来ているから」あるいは「あの人施設に入っちゃったのよね」と、介護保険利用ということで、せっかく今までのつながりや馴染みのあった人たちとの関係性が切れてしまうという現象も、地域社会では見受けられます。

 

私たちは知らず知らずのうちに、つながりを拒否しているのですね。そうした現実を踏まえて、新しいつながりをつくっていかなければならない時代です。人と人とのつながりというのは地域における最低限の基盤です。それが大事だと思いつつも、なんとなくそれを捨て去ってしまっているという状況から、いかに新たに地域を再生していくか。そういう時代が今ではないかなと思います。

そこに対して、国が提案してきたのが「地域包括ケアシステム」という名前で呼ばれる仕組みづくりというわけですね。

 

これは行政だけが旗振りをしてできるものではありません。

地域社会の企業、地域住民、行政が一緒になって、つまり協働してその仕組みをつくっていくということなのです。

 

地域包括ケアシステムのキーワードは「つながり」、もう一つは「住民参加」。つまり行政任せにしないということですね。

住民参加というのは大きなキーワードになると思います。いろいろな取り組みがなされていますが、全国的にみると地域で相当の格差が生まれている。どこも模索している状況です。

 

このときに大切なことは「なぜ地域包括ケアシステムづくりをしなければいけないか」という「なぜ」の部分が、地域住民の心にしっかりと腑に落ちているかどうかということです。今はこういう時代ですから、こういう仕組みをつくるんですよ、皆さん協力してください、と呼びかけるだけでは、なかなか住民がその気にならない。「なぜ」そういう仕組みが必要なのかということを、一人ひとりがしっかりと理解して、「あっ、そうか」とわかって、「だからそこに私たちも参加しないといけないんだ」という「なぜ」の部分を住民にいかにわからせるか、というのが鍵だと思っています。

 

なぜ私がこう申し上げるかと言うと、介護保険のときがそうだったんですね。介護保険が導入されたのが2000年ですから、もう18年前。

その時に圧倒的に強かった声は「お金を取るのか」でした。措置の時代から「福祉はタダ」という気持ちが皆の中にあったからです。

「保険料?えっ、お金を取るの!」と。なぜ保険料という負担を国民に求めたのかが、腑に落ちてなかった。いくら「介護保険とはこういう仕組みです」「こうやって利用してください」「こういう人が利用できます」と行政や専門職が説明しても、私たちの心にあるのは「お金を取られる」ということだったのです。

「なぜ負担を強いてまで介護保険という制度をつくったのか」ということが納得されていなかった。この説明がものすごく足りなかったと思います。

 

この「なぜ」の部分を、地域包括ケアシステムにおいて考えてみようと思います。

それは大きな時代の変化、社会の変化です。私たちはもう昔には戻れない。前に進んでいかなければならないわけです。社会の変化、時代の変化をしっかり見据えることが大事で、それが「なぜ」ということを解決することに繋がっていくと思います。

 

時代の変化、社会の変化を総括してみましょう。

 

地域包括ケアシステムに関する大きな時代の変化の一つは、もう皆さんも実感されていると思いますが、「家族形態の変化」です。

昔は三世代同居が当たり前で、大人数で暮らしていました。おじいちゃん、おばあちゃんがいて、おとうさん、おかあさんがいてという、私もそういう暮らしでした。

しかし、今の人たちはおじいちゃん、おばあちゃんを知らないですよね。一緒に暮らしたこともない。圧倒的にそういう人たちが多くなってきている。

家族形態が変化して、一人暮らし、高齢者だけの世帯、ひとり親と子ども、それらが圧倒的に増えてきている。昔の三世代同居から多様な形態に変わってきた。多様化してきているわけです。

ということはもう「家族」という一つの単位はあてにならなくなっている。おたがいに支え合うという家族の機能が失われている時代だ、ということが言えます。

今まわりを見回しても、頼りになる家族や同僚や友人がいないという人が多くなっている。そんな中で私の「ともだち近居」の試みがあるわけです。友という頼りになる安全保障で仲間をつくろうよということですね。

 

支え合うということでは家族をあてにできない時代だ、ということをまず認識する必要があると思います。

他に何を求めるかということですね。「日本型福祉」ということがずっと前から言われてきました。

家族による支え合いを前提として、問題が起きたら家族で解決していけばいいじゃないかという考え方です。福祉の進んでいる北欧の国のように全部公的に賄って、実際の介護はプロに任せて、家族は存分に愛情を注げるようにしましょうという考え方ではなくて、家族だから困ったときには助け合うのが当たり前、労働も愛情も全部家族に任せて財源を少なくしよう、削ろう、それが日本型福祉と言われたものです。

 

1978年の厚生白書には、同居家族は「福祉における含み資産」であるということが書かれている。家族という含み資産をあてにして介護をやっていくんだということです。

それがずっと今に至るまで言われ続けている。とっくに家族という形態は破綻しているにも関わらず、まだどこかに「家族がやればいいんじゃないか」という気持ちを引きずっている。

しかし、介護で疲れて自殺したり、本人が病気になったりするのではなくて、存分に家族としての愛情を注げるように環境整備をすることが大事なわけです。未だに含み資産という考えをひきずっているなあと感じています。

 

もう一つは、雇用形態の変化です。日本は終身雇用と言われています。

「勤め上げた」という言葉があるように、一つの企業に入ると生涯をそこで全うするというのが当たり前の雇用システムでした。

しかし、今はもう終身雇用も破綻していますね。非正規雇用の方がものすごく増えている。一つの企業に入ってそこで全うするという人のほうがもしかすると少なくなるかも知れない。それくらい雇用形態が変わってきている。

私の場合は終身雇用で企業からいろいろな保証が受けられた。企業も福利厚生を充実させてきた。企業というのはあてにできる存在だったわけです。

しかし今はもう、生涯ここに居られるかどうかわからない。それどころか企業も破綻する時代だ。ですから職場から生活保障を受けられるという安心感がなくなってきている。

その結果、結婚できない、踏み切れない。結婚して子育てしていけるだろうかという不安がある。なかなか結婚というハードルを超えない。これが少子化ということに結びついているわけですね。一生に女性が生む子どもの平均が1.43人(厚生労働省「平成29 年(2017)人口動態統計(確定数)の概況」より)。1.8あればまあまあ社会が保っていけると言われています。とくに大阪と東京はひどいです。東京は1.21、大阪は1.35と少子化が進んでいます。

 

企業という働く場もあてにできない、という中で子どもたちが減っていく。これは何に結びついていくかというと、人口減少です。

人口減少時代に日本は突入しました。これまでの日本は右肩上がりの人口増加の中で、いろんな仕組みがつくられてきました。しかし、今は人口減少の中で仕組みを考えていかなければならない。ここが一番大きな問題だと思っています。

人口はこれから減る一方です。人口減少に突入したのが2005年。どんどん人口が減ってきている。中でも生産年齢人口、社会の中心になって働く人たちの人口が減っています。長生きしますから高齢者人口は、しばらく増加します。

ところが15歳から64歳の生産年齢人口、社会を担う人たちが減っていく。これが問題なんですね。

これからの日本は高齢者多死時代になる。一方で、生産年齢人口が減少していきます。

 

社会の担い手が少なっていくことが一番大きな問題だと思っています。

家族システムの変化、雇用システムの変化、そして人口減少時代に突入したというこの3つが、今私たちの抱えている社会の変化です。

 

それでは、未来に向かって歩んでいく時に、どうすればいいかということですね。そこで地域包括ケアシステムというものをつくりましょうと国が提案してきたわけです。

地域包括ケアシステムは、基本的には人と人とのつながりをつくって、地域をつくりなおしていこう、そしてその地域で生涯安心して暮らせるようにしましょうというのが大きな狙いです。たとえ要介護状態になっても、住み慣れた地域で暮らしていけるようにしましょうと。

 

住み慣れた地域で暮らしていこうというのは聞いたことあるなあ、と気がつきます。これは介護保険が目指したことですね。介護保険も在宅で長く暮らせるようにしようとしたわけです。しかし、これはできなかった。

なぜなら介護保険というのは家族を含み資産として、家族をあてにしてつくられた制度だからです。在宅でできるだけ長くと言ったって、介護保険で支えられる在宅のレベルは例えば60%くらいです。まあ6割くらいは在宅で支えられるかも知れないけど、「あとはムリよ」ということですね。じゃあどうしたらいいか。

 

そこで新たに地域包括ケアというという仕組みをつくって、介護保険を中心に在宅で暮らせる時期を80%くらいに上げましょう、できたら90%くらいまでいきましょう。つまり在宅で暮らせるレベルを上げましょうというのが地域包括ケアシステムの目的です。

 

じゃあ具体的にどうするかと言うと、医療とか介護とか生活支援とか、バリアフリーの住まいとか、それから要介護状態にならないように一人ひとりが健康でいられる介護予防に努めて、在宅で暮らせるような仕組みをつくろうということです。

医療や介護というのは、財源を付けて制度を変えて、国主導でやっていけばできます。

 

問題は生活支援の仕組みをどうつくるかということです。生活支援とは何かというと、例えば食事づくりとか、ゴミ出しだとか、病院の付き添いだとか、話し相手だとか、そういったもろもろ、ちょっとした生活上の困りごと、とでもいいましょうか、介護とは違う暮らしの困りごとに対して、お金をかけなくてもお互い様の精神で支え合っていけばできるような支援です。

それが今非常に少ない。そういう仕組みがないから高齢者だけで暮らしている世帯や、一人暮らしの人は、困ると施設や病院に入ってしまう。施設や病院というのは24時間、365日の安心と安全があるわけです。だからそういう施設と同じような24時間、365日の安心と安全を地域にもつくりましょうよというのが地域包括ケアシステムですね。

 

従って今後求められるのは、生活支援の仕組みづくりです。

サービスをどう増やすか。これはそんなにお金をかけなくても地域住民の参加で、つまり住民参加でお互い支え合い、お互い様の精神でちょっとした困りごとのサービスを届けましょうということですね。そこを充実させていく車の両輪が住民と行政の協働ということになるわけです。

 

じゃあ、そのとき行政や住民、企業などに求められるものは何かと考えますと、行政が単に「今はこういう時代ですから皆さん住民参加でいろんなところに参加してください」と言うだけではなかなか住民は参加しない。

 

なぜなら、今、世の中に楽しいものいっぱいありますからねえ。皆そこそこ暮らしに困らないし、それなりに充実させて暮らしている。楽しいこといっぱいある中に、ボランティアとして、あるいはいろんな市民活動として、参加してくださいと言ったって、「そうですねえ」くらいで終わってしまう。

 

行政は「なぜ住民参加が必要なのか」を住民がきちんと腑に落ちるように説明し、啓発を図ることが大事です。「なぜ」の部分をきちんと説明する。それと同時に研修をする、勉強会をする。

 

ボランティアをやってる人は「私はこれでいいのか」といつも迷っているんですね。きちんと研修する、勉強会をするということが行政の役割ではないかと思います。

そして、言うだけの住民ではだめです。言うと同時に自分も実践する。そういう住民に変わっていくことが必要だと思います。意識を変え、自らも活動する。私はこうした住民を「プロの住民」と呼んでいます。

 

プロの住民をどれだけ地域に増やすことができるかが、鍵だと思うんですね。

我が事として考え「私もやりますよ」という住民を増やすことです。

行政のやることと住民のやることは違いますね。行政は税金を使ってやるわけですから、どうしても公平・平等・画一的です。

 

住民のやることはなにも公平・平等・画一的でなくてもいいんです。自分の思いや、この人のために尽くしたいとか、この地域を良くするために私はこういうことをしたい、住民の一人ひとりの意識や考えで、いろんな花を咲かせればいいのです。

行政と住民の協働で地域社会を担っていくということがとても大事になっていく時代だと思っています。

 

今は時代の変わり目です。地域包括ケアシステムの構築は2025年を目指しています。

最初はずいぶん時間があるなあと思いましたが、後もう6年くらいしかないわけですね。あっという間に来てしまいます。

新しい仕組みで新しい地域をつくり、大変な時期を乗り切っていこうというには時間がかかります。だから随分前から2025年を目指して着々と進んできたわけです。

 

超高齢社会と言うと暗い、後ろ向きなイメージで語られます。

しかし、今は新しいものを生み出そうとしている時代。誰もが要介護状態になっても、安心してその地域で暮らせる。安心して子育てできる。障がいがあってもすぐに施設というのではなくて、地域社会で共生していけるような地域をつくる。目指すべきものは明らかです。そこに向けて時代が動いているわけですね。

 

だから超高齢社会を暗いイメージで語るのではなく、むしろ「新しいものを皆で生み出していこうよ」と考えて進んでいくということが非常に大事であると考えています。

 

 

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